BNP野村敏晴‘お仕事’してます

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言いたいことは、山ほどあれど・・

BNP編集部コラム1、最終履歴2005年9月14日でストップしてました。信じられないくらいの‘おさぼり’でした。
このところネット上ではブログがひしめきあい、
更には、『営業力は社長の「顔出し」で3倍アップする』(ハギジン出版)の出版物のタイトルを目にして、ついに眠りから覚めました。
復活です!!
母の存在は‥(08.9.14)
 8日午前11時、母が逝った。享年98歳であった。
危篤の知らせを聞いて実家に向かい、その夜と次の夜と、棺に寄り添った。
そしてこの時ほど、時間というものを意識したことはないように思う。
骨になるであろう遺体、否応なくその時は刻々と近づいてくる。
この今、現在は、流れるように過去になっていく。
遺体とはいえ、その存在の重さ。棺を開けると、冷たくなった母がいる。
それが間もなく骨になるのだ。灰となるのだ。
存在から非存在へ。
この違いは、私には言葉で言い表せない重さをもっている。
 通夜が終わり、告別式が終わり、火葬場へと向かう。
最後のお別れ、ということで、母の冷たくなった額に触れ、
「お母さんお別れやな」
と言うと、涙が溢れ出してきた。
 およそ2時間後、母の遺骨を拾う。母の存在は消えた。
 家の祭壇に飾られた遺骨と写真と位牌。
母のベッドが置かれていた場所は、母の祭壇となった。
母のこと、すべてが過去になった。
時間が流れるように通り過ぎてゆく。

井村さんとパエリア(08.9.2)
 昨夜、井村さん(先生)に電話をした。
予言に関する本ができあがっ てくる予定だったのが届かず、がっかりしているところだという。
この 本は、今人気のジュセリーノやFBI超能力捜査官マクモニーグル、そ して数々の予言などを分析、評価を加え、予言の本質について論じ、本 書自体がまた予言の書となっている名著である。
いずれ弊社BNPか ら、一般読者向けに刊行の予定だ。

 ところで、しばらく前におうかがいしたとき、パエリアをごちそうに なった。その美味しかったこと、何とも言えない。じつは、井村さん、 料理の名人でもあるのだ。

トップへ 小池美和さんのカエルの写真(08.9.2)
 いつもながら小池美和さんの写真の目線の優しさには驚かされる。
トップページの「はなにみとれて」の雨蛙の写真は、その表情といい、構図といい、絶妙だ。
ここで野暮な解説は不要。
ほんとに見とれてしまうし、いつまで見ていても見飽きない、優しさに満ちた写真だ。
温かい手(08.8.31)
 31日、兄貴に電話したところ、今日は、声をかけるとうなずき、手 を握りしめたという。その手は温かかったという。
 何か しゃべろうとしているらしい。それは、
「もういいから、早く逝かせてほ しい」
 と言っているように聞こえるようだ。
 姉貴は、泣いていたという。
 朦 朧としているのかもしれないけれど、意識はある。肉体はボロボロで、 心臓と脳だけで生きている状態だ。どんなに辛いことだろう。
 医師も きっと手の打ちようがないのだろう。

 見舞いに来てきてくれた叔母さんは、昨夜、実家に泊まってくれたという。
 私だけが、今日も実家に帰れず、東京にいる。

不釣り合いな苦しみ(08.8.30)
 覚悟しておくようにと言われた翌日、28日、お袋は、やはりよく しゃべり、手を握りしめ、うなずいたりしていたという。
しかし、もう 水も喉を通らない。案の定、29日には、午後の面会時も、夜の面 会時も、かすかに息をして寝ているだけで、声をかけても反応がなかっ たという。
 尿もほとんど出ないのか、身体は医師が言っていたように、 水膨れのように腫れあがっているらしい。
 30日も、声をかけると時折かすかにうなずくような動きをして いるように見えるが、ほとんど状況は昨日と変わらないようだ。
 身体は もう水膨れでパンパンになっているという。でもきっと家族の声は聞こ えているに違いない。
 100歳近くなっても明晰な人だ。もうしゃべれ ない、もう体も動かせない、もう目も開けられない、しかし家族の声は 聞こえ、わずかなりとも思考能力があるとしたら、その苦しみはいか程 のものだろう。
 母の清楚な人生に、この最後の苦しみは、あまりにも不 釣り合いで、大きすぎるのではないか。

 主が留守の家のお袋のベッドの脇には、我が二人の息子の写真が置い てあるという。

肺からも出血
 お袋が緊急入院してからおよそ1週間後、今度は肺から出血した。
 そ こで、鼻から管を通し、肺に溜まった血を抜いたという。その際お袋は 非常に苦しみ、兄貴はもう可哀想で見ていられなかったと私に話した。
 電話の向こうで涙を流し泣いているのが分かる。
 お袋は、心臓が強く、意識もしっかりしており、ほとんどボケもして いないので、医師もどこまでの治療をするか、判断が非常に難しいとい う。
 脳出血以後 、言葉は意味不明だが、微笑むし、うなずく し、手も強く握ってくれる。となると、もう食事はいっさい喉を通ら ず、点滴だけで持ちこたえているというものの、やはり可能な限り治療 行為はしなければならない。と思うのが医療者としての偽らざる気持ち だろう。
 でも、家族の気持ちは、可能な限り苦しませないでほしい、楽 に逝かせてやってほしいというものだ。
 私が病院に駆けつけたとき、お袋が言葉にならない言葉で必死に話そ うとした。それは、
「早く逝かせてほしい」
 と言っているように聞こえ た。

 27日、実家に電話をすると、担当医からそろそろ覚悟しておいてく ださいと言われたという。

すみチャンカエル(08.8.)
 BNPのHPのトップに「すみ チャンカエル」なるものが登 場したのを見ていただけただろうか。
これは部屋の隅っこで撮影したか ら
「すみ チャンカエル」というのではなく、
生体エネルギー研 究所の「すみチャン」のコレクションで、国際カエル年にちなんで紹介 させてもらったもの。
 たばこをくわえているのが、さしずめ井村さんで、灰皿を抱えている のが元(ゲン)ちゃん、金魚を釣っているのがすみチャン、といったと ころか。
知る人ぞ知るである。(このカエルは‥ジライヤ蛙?)

ミッション・オブ・ラブ
終末期のスピリチュアルケア


緩和ケア専門医ロジャー・コールが接した、多くの患者、看護者との、愛に満ちた事例を紹介。
母が倒れる(08.8.)
 母が倒れた。後2年余で100歳を迎える。
「100歳までは生きたい ね」と言っていた。
ここしばらく、母のことを書くことをお許しいただき たい。

緊急入院
 今月8日の朝、お袋が脳内出血を起こして緊急入院したという電話が入っ た。翌朝、実家の京都に駆けつけたところ、出血は止まり、言葉はうま くしゃべれないものの、
「トシハルやで、分かるか」と声をかけると、 私の手を強く握りしめ、うなずいてくれた。お袋は、何か言いたいらし く声を出すのだが、うまく言葉にならない。
「○ん○か!」。
きっと元 気か、元気にやっているか、と言っているのだろう。
足がだるいらし く、しばらくの間さすってやっていた。98歳の誕生日をおよそ1カ月 後に控えての緊急入院だった。
 医師は、手術をするなら手術可能な病院に移らなければならないとい う。
もちろん、兄と姉は手術はしない、延命治療もしないというお願い をした。

太古日本の
封印された神々
『古事記』異端の神々
『古史古伝』異端の神々


図説 神代文字入門
原田実さんの記憶を頼りに本探し(08.8.)
 水曜日、原田実さんが来社された。いま原田さんと進めている本は、
日本の神々をサブカル世界に大追跡──古代史ブーム・データブック』
というものだ。
 70年代、高松塚古墳の発見を頂点に、邪馬台国論争や騎馬民族征服王朝説など、大きな古代史ブームが起り、そして松本清張の『ペルセポリスから飛鳥へ』、梅原猛の『隠された十字架』などがベストセラーになった。それらの中で取り上げられた日本の神々、ヒーローたちは、実は今も、コミックやアニメ、映画、ゲームの中で活躍している。これらの現在活躍中の日本の神々、ヒーローのルーツを探るのが今回の本だ。
 ところでその際、超古代史に話がおよんだとき、
原田さん「超古代史は死語です」。
野村「……」絶句。
そう、「超古代史」はもはや死語らしい。私の時計はいつから止まっているのだろう。早急に、ネジを巻き直すか、電池を入れ替えるかしなければならない。
 それにしてもいつも原田さんの博覧強記には驚かされるが、最後に一つ。原田さんは一度弊社を訪れただけで、どの場所にどの本が置いてあるか覚えてしまっているのだ。編集部の者が探していると、
「エー、その本は○○のあたりの棚の○○のところにありました」。
これから本を探すときはまず原田さんに電話で聞こう、というのが編集部の統一見解になったのです?

鮑黎明さんと不思議体験(08.8.)
 先日、久しぶりに鮑黎明さんに電話をした。台湾に行っておられたという。鮑さんには弊社BNPから2冊の本を出していただいている。『タオ風水術』『紫微斗数 精義』だ。弊社の著者で、本来なら先生とお呼びすべきところだが、長年のお付き合いから、鮑さんなどと気軽に呼ばせていただいている。
 ここのところ鮑さんもいろいろな不思議体験をしておられるらしい。お話をうかがっていると、本当に驚く。プライベートな話なのでここでは書けないが、その一端を知っている私としては、うなずくばかりである。不思議な現象、つまり霊的体験とは、信じる人のところにはやってくるし、信じない人のところにはやってこない。また、体験した事実さえも、信じていない人、あるいは興味のない人は、見過ごしてしまう。
 私は、と言えば、そんなに大きな体験をしたわけではないが、幾度か、不思議な体験をしたことがある。そういった体験をすることが、人生にどういった意味を持つのか、という難しい質問はさておいて、霊的とは言わないまでも、さらなるスピリチュアルな行動と体験を積み重ねたいと思っている。こういうふうに思うのは、100歳近い母の生命の火が消えかかっているという現実が目の前にあるからなのかもしれない。

UFOと並木伸一郎さん(08.8.)
 先日某版元の編集者と、UFOの研究家である並木伸一郎さんに会った。何年ぶりだろう。私が『Az』という雑誌を編集していた頃のお付き合いだから、15年くらいになるだろうか。私のほうは頭の毛が薄くなったが、並木さんの風貌は昔と何も変わらない。
 最近はUFOからさらにジャンルを広げて、怪談ものや都市伝説にまで踏み込んでおられる。その際近著を2冊いただいた。『昭和の都市伝説』と『封印怪談』(共に経済界刊)だ。そのうちの『昭和の都市伝説』には、並木さんの子どもの頃の、ご自宅近くの代々木公園界隈の写真が載っていて、その変貌ぶりこそまさに都市伝説と、感慨を新たにした。代々木公園でUFO博覧会でもできればきっと面白いに違いない。