グラナダ

“ グラナダ ”とはスペイン語でザクロのこと。グラナダ県紋章にもザクロがデザインされている。

スペインの各地でみられる紀元前ローマ帝国が造った『水道橋』
微妙に勾配がついており、上流から都へと水は送られる・・・・・・・
すごいなぁ~ヨーロッパを征服した古代ローマ人の知恵と創造力

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アルハンブラ宮殿

私にとって “アルハンブラ宮殿” は大変思い出深く、1998年に行った時、入場制限に

あい、受付で「明日いらっしゃい」と、言われたものでした。今回は入場できてよかった♪

・・・“アルハンブラ”はアラビア語で「赤い城」の意味・・・

・・・宗教、その時の権力者によって中はかなり荒らされ崩壊している・・・

・・・美しいモザイク壁画や天井は悲しいぐらい破壊されていた・・・ 

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・・・夏の別荘(ヘネラリフェ)より宮殿を望む・・・

ヘネラリフェは、アルハンブラ宮殿の北、チノス坂をはさんだ北側の太陽の丘に位置

王は別荘から宮殿までは馬で移動したそうだ・・・私たちは徒歩で、ぐるりと迂回して行
く・・・いやぁ~遠かった。宮殿見学は、制限のため入場時間が決まっている。しばらく
並んで順番を待つことになるので、スペイン旅行は季節を選ぶ事をおすすめします。


ヘネラリフェのアセキアの中庭

ギター独奏曲《アルハンブラの思い出 ・ Recuerdos de la Alhambra》は、スペインの作
曲家でありギタリストのフランシスコ・タレガが、アルハンブラ宮殿を訪れた時の印象を
1896年に発表した作品。 高度な演奏テクニックであるトレモロ奏法を活用した曲として
も名高い。ガイドさんの説明だと、タレガがこの繊細な噴水を見て、メロディが浮かんだ
とか・・・・・大変美しいメロディで、私はこの曲が大好きです・・・・・(^ー^* )♪♪
アルハンブラ宮殿の番組では、必ずこの曲が流れるので、皆様も耳にしているでしょう。

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アルハンブラ宮殿

“ アラヤネスのパティオ(天人花の中庭・Patio de los Arrayanes)

池の両脇のよく手入れされた天人花(アラヤネス)。この中庭から「バルカの間」 (Sala de
la Barca)を経て、一番広い「大使の間」(Salon de Embajadores)に行ける。王の謁見など
が行われていた場所で、イスラム最後の王ボアブディアルが城の明け渡しを決めた部屋。
カ ルロス5世の部屋につながる通路の一番手前の部屋で、アーヴィングが1832年発表した
「アルハンブラ物語」 を執筆した。アルハンブラ宮殿はそれほど知られていなかったがこ
の本によって欧米諸国に広く知られるようになった。  (私はこの作品は知りませんでした) 

正面は “ コマレスの塔 ”

      

 

“ 二姉妹の間 ”

・・・八角天井のモザイク(モカラベ)がつくられた時は美しかったことでしょう・・・

「モカラベ」とは天井を覆う無数の鍾乳石状の繊細な装飾のこと。

 

ほんの一部残っているブルーのモザイクをアップしてみました・・・

この美しさが天井いっぱい飾っていたと想像してください !

 

“ ライオンの中庭 ”

12頭のライオンの口から水が流れる円形の「ライオンの噴水」

作られた時点では時計になっていて、1時間ごとに水が出るライオンが変わったとか・・・
後にキリスト教徒が、そのカラクリを調べようと壊した。結局カラクリはわからず、挙句の
果てに修復できず、全頭のライオンの口から水が出る普通の噴水になってしまった・・・

 

宮殿からアルバイシン地区を見下ろす

白壁の美しい地区

アルバイシン地区も世界遺産。この地区は、小高い丘になっていて、以前、アラブ人の
居住区だった。アルバイシン地区の歴史は、イベリア人(前インドヨーロッパ人)の時代ま
でさかのぼり、その後のローマ人の分散した定住跡も確認されている。その後、1013年、ズ
イール朝がここに誕生するまではアラブ人がいた形跡は確認されていないが、その後のナ
スル朝時代に重要な地区となった。特徴は、それぞれの道が大変入り組んでおり、また、そ
の道幅が狭いこと。これは外部からの侵入者を迷わせ、困難にするためと言われている。

 

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